大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(行ウ)45号 判決 1998年5月11日

原告

東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

松田昌士

右訴訟代理人支配人

石田義雄

右訴訟代理人弁護士

橋本勇

権田安則

被告

中央労働委員会

右代表者会長

山口俊夫

右指定代理人

諏訪康雄

塚田滋

廣瀬良男

池月邦久

被告補助参加人

国鉄労働組合東京地方本部

右代表者執行委員長

高橋義則

被告補助参加人

国鉄労働組合東京地方本部中央支部

右代表者執行委員長

大谷一敏

被告補助参加人

国鉄労働組合東京地方本部中央支部東京総合病院分会

右代表者執行委員長

宮内いほ子

右三名訴訟代理人弁護士

小林譲二

(他二名)

主文

一  被告が中労委平成四年(不再)第二五号事件について平成八年一月二四日付けでした命令を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とし、参加によって生じた訴訟費用は被告補助参加人らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文第一項と同旨。

第二事案の概要

本件は、原告が、その直営病院であるJR東京総合病院(以下「病院」という)で視能訓練士として勤務していた榎本利枝(以下「榎本」という)に対し、平成元年四月一日付けで事務部医事課課員として病歴管理業務に従事するよう命じた(以下「本件配転命令」という)のは、不当労働行為に当たるとして、右命令がなかったものとして取り扱い、榎本を視能訓練士の業務に復帰させることなどを命じた東京都地方労働委員会(以下「都労委」という)の救済命令(以下「初審命令」という)を維持した被告の命令(以下「本件命令」という)について、原告がその取消しを求めている事案である。

一  争いのない事実等

以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は括弧内記載の証拠及び弁論の全趣旨によって認めることができる。

1  当事者等

(一) 原告は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という)の分割・民営化により、昭和六二年四月一日、東北及び関東地方における旅客鉄道業等を営むことを目的として設立された株式会社であり、従業員数は約八万二〇〇〇人(平成元年九月当時)である。

病院は、国鉄の直営医療機関の一つである日本国有鉄道中央鉄道病院(以下「中央鉄道病院」という)が、国鉄の分割・民営化に伴い、昭和六二年四月一日、原告の直営病院として発足したものであり、病床数六〇二床(運用数四〇三床)、診療科目二三科の総合病院である(書証略)。

(二) 被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部(以下「東京地本」という)は、国鉄労働組合(以下「国労」という)及び国鉄労働組合東日本本部(以下「東日本本部」という)に所属する組合員のうち、東京を中心とする地域で勤務する労働者で組織された労働組合である。

(三) 被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部中央支部は、東京地本の下部組織である東京電気支部、施設支部、本社支部及び東京支部が統合されて結成された労働組合である。

(四) 被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部中央支部東京総合病院分会(以下「分会」という)は、病院に勤務する労働者で組織された労働組合である。

(五) 榎本は、昭和四七年五月一日常勤嘱託として国鉄に採用された後、同年七月に視能訓練士の資格を取得し、昭和五〇年四月一日準職員となって中央鉄道病院準視能訓練士の辞令を受け、同年一〇月一日正規職員となって中央鉄道病院視能訓練士の辞令を受け、以来中央鉄道病院(国鉄の分割・民営化後は病院)の眼科で視能訓練士として勤務していた。

視能訓練士法二条によれば、視能訓練士とは、厚生大臣の免許を受けて、医師の指示の下に、両眼視機能に障害のある者に対するその両眼視機能の回復のための矯正訓練及びこれに必要な検査を行うことを業とするものをいう。

榎本は、昭和四七年五月国労に加入し、分会の婦人部副部長、副執行委員長等を経て、昭和六三年三月から平成三年三月までの間分会の執行委員長(以下「分会長」という)を務め、その後副執行委員長に退いた(証拠略)。

2  視能訓練士の定数削減と榎本の処遇

(一) 中央鉄道病院は、全国に三八ある国鉄の直営病院の一つとして主に国鉄職員及びその家族の診療に当たってきたが、その利用率は低く部外者の利用が制限されていたこともあって慢性的な赤字状態に陥っていた。そのため、昭和五三年九月には会計検査院から平均経常収支率が低く財政運営の見地から好ましくないとの指摘を受け、昭和六〇年七月には、日本国有鉄道再建監理委員会の答申において、各直営病院は一層の経営の効率化を図り新経営形態への移行時点までに収支の均衡を目指すべきこと、とりわけ中央鉄道病院については速やかに保険医療機関の指定(健康保険法四三条ノ三)を受けて一般開放を実現すべきことを指摘されていた。

国鉄は、直営医療機関の経営効率化のため、昭和五七年四月、昭和六〇年四月及び昭和六一年一〇月の三回にわたって、機関の縮小・廃止、要員の削減等の見直しを行った。このうち中央鉄道病院については、昭和五九年末までに国労本部との間で、全体の要員数を従前の五一二から四七七に削減することを含む合理化策を昭和六〇年四月から実施する旨合意し、昭和六一年一〇月の見直しではさらに要員数を削減して四六一とした(証拠略)。

(二) 中央鉄道病院における視能訓練士の定数は従来二とされ、現実にも榎本と松本正子(昭和四五年四月一日準職員として国鉄に採用され、同年六月一月正規職員となり看護婦として勤務していたが、昭和五一年六月に視能訓練士の資格を取得し、昭和五三年四月一日以降眼科において視能訓練士として勤務していた。以下「松本」という)の二人が配置されていた。

昭和六〇年四月実施の合理化によって中央鉄道病院における視能訓練士の定数は二から一に削減されたが、適当な転出先が見つからないこともあって、国鉄は、榎本と松本を従前同様視能訓練士の業務に従事させていた。しかし、昭和六二年四月一日に予定されていた国鉄の分割・民営化及び中央鉄道病院の一般開放実施の時期が迫っていたことから、前記再建監理委員会の答申に従い、形式的には過員の状態を解消して眼科の収支の改善を図るべく、昭和六二年三月一六日付けで榎本に事務部経理課課員を命じるとともに、同人の具体的処遇については新たに発足する原告及び病院に委ねることとし、視能訓練士を兼務とした。右の発令によって榎本は給与体系の異なる医療職から事務職に転換したが、発令について異議を述べることはなかった(証拠略)。

3  原告発足後の榎本の処遇

(一) 昭和六二年四月一日、国鉄の分割・民営化により発足した原告は、同日付けで榎本に事務部総務課課員を命じるとともに視能訓練士を兼務とし、従前同様視能訓練士の業務に従事させることにした。右の発令によって給与上の不利益はなく、榎本が発令について異議を述べることはなかった。なお、所属部署が経理課から総務課に変更になったのは、分割・民営化に伴う組織変更によるものである。

(二) 原告は榎本に対し、平成元年四月一日付けで、視能訓練士の業務から事務部医事課課員として病歴管理業務に従事するよう本件配転命令を発した。

4  不当労働行為の救済申立て

被告補助参加人らは、本件配転命令は不当労働行為に当たるとして、原告を被申立人として都労委に不当労働行為の救済を申し立てた(都労委平成元年(不)第六六号)。都労委は同事件について平成四年七月七日付けで別紙(一)記載の初審命令を発し、原告は、右初審命令を不服とし、被告に対して再審査の申立て(中労委平成四年(不再)第二五号)をした。被告は、同事件について平成八年一月二四日付けで別紙(二)記載の本件命令を発した。

5  本件出向命令

原告は、東日本本部との間で締結した定年延長等の実施に関する協定二項の「満五五歳以上の組合員は原則として関連企業等へ出向とする」との規定に基づき、榎本に対し、平成七年二月一日付けで財団法人東京身体障害者福祉センターへの出向を命じた(以下「本件出向命令」という)(書証略)。

二  主たる争点

1  本件配転命令につき不当労働行為の成否

2  初審命令主文第一項を維持した部分にかかる救済利益の有無

三  当事者の主張

(原告の主張の要旨)

1 不当労働行為の不成立

(一) 本件配転命令は、病歴管理業務の充実のために要員を配置する必要性と視能訓練士の過員を解消する必要性とが合致した結果、就業規則二八条一項の「会社は、業務上の必要がある場合、社員に転勤、転職、…等を命ずる」との規定に基づいてなされたものであり、合理的なものである。

(二) 病院に関する集団的労使関係については、原告と東日本本部との間で締結された労使間の取扱いに関する協定に基づき、原告の本社と東日本本部との間で処理することとされていたところ、本件配転命令が発せられた平成元年四月当時、原告と東日本本部との間では、病院に関する事項を含めて右協定に基づき団体交渉等が行われ支障なく意思疎通ができており、何の緊張関係もなかった。また、当時、榎本が分会において特別な活動をしていたということもない。したがって、原告が榎本の組合活動を理由に本件配転命令を発するというような必然性は全くなかった。実際、榎本は、本件配転命令によって担当業務が変わったに過ぎず、従前同様分会に所属して従来どおりの自由な活動ができていたのであり、何の不利益も受けていない。本件配転命令によって被告補助参加人らの組合活動に支障が生じたという事実も存在しない。したがって、本件配転命令について不当労働行為は成立しない。

2 救済利益の消滅

労働委員会の救済命令の発令後に当該労働者の地位に何らかの変動を及ぼすような事実が生じたときは、救済利益は消滅し、当該救済命令は拘束力を失う。本件出向命令は、初審命令が原告に交付された平成四年七月三一日よりも後で本件配転命令とは無関係に発せられたものであるから、初審命令は、本件出向命令の発せられた平成七年二月一日以降、救済利益の消滅により拘束力を失った。本件命令は、初審命令が拘束力を失ったのを看過してなされたものであるから、違法である。

(被告の主張)

被告の発した本件命令は、労働組合法(以下「労組法」という)二五条及び二七条並びに労働委員会規則五五条の規定に基づき適法に発せられた行政処分であって、処分の理由は本件命令書記載のとおりであり、被告の認定した事実及び判断に誤りはなく、原告の主張には理由がない。

(被告補助参加人らの主張の要旨)

1 不当労働行為の成立

本件配転命令は、原告・病院が、国鉄の分割・民営化の前後を通じて一貫して維持している国労敵視政策に基づき分会に対して一連の攻撃を加える中で、より一層の分会の弱体化・壊滅を意図して分会長である榎本に狙いを定めて行ったものであり、榎本に対する不利益取扱い(労組法七条一号)であるとともに、被告補助参加人らの組合活動に対する支配介入(同条三号)であって、不当労働行為を構成する。

(一) 不当労働行為意思の存在

(1) 国鉄は、分割・民営化に反対する国労の組合員に対し、「国労を抜けなければ新会社には採用されない」との脅しを使って国労からの脱退強要を大がかりに行いつつ、国労に残った組合員については、成績評価を軒並み低くするなどの手口で新会社への採用予定者から排除しようと企図した。ところが、本州では国労組合員も多数新会社に採用されることが判明し、全日本鉄道労働組合総連合会(以下「鉄道労連」という)から、これら国労組合員を本来業務から外すべきことを求められた国鉄は、昭和六二年三月一〇日、役員・活動家を中心とする多数の国労組合員に対し、本来業務から外して兼務発令をする旨の配属通知を行った。その結果、これら国労組合員は同年四月一日の原告の発足当初から本来業務を外されることになった。このいわゆる配属差別は、不当労働行為事件として全国各地の労働委員会に提訴され、これを受けた各地方労働委員会は、国労組合員に対する本務外しの兼務発令を不当労働行為として認め、多数の救済命令を発した。このように国鉄は、分割・民営化に反対する国労と終始激しく対立する一方、国労以外の労働組合とは協調関係を強めていた。

新たに発足した原告は、脱退強要や配属差別にもかかわらず壊滅させることができなかった国労を敵視し、一般組合員に対する執拗な脱退攻撃を加える一方、国労以外の労働組合との協調関係を一層強めている。

(2) 昭和六一年一一月当時、中央鉄道病院における組合員有資格者約三〇〇人のうち、分会員は約一八〇人であった。しかし、分割・民営化を目前に控え、国鉄当局等から「国労に残っていたら新会社に採用されない」という雇用不安が流布される中で、分会三役が国労・分会を脱退し、鉄道医療協議会(以下「鉄医協」という)を組織して病院当局と一体となって分会員に対する脱退攻撃を行った結果、原告が発足した昭和六二年四月当時、分会員の数は四三人(看護婦四一人、視能訓練士一人(榎本)、事務職一人)にまで減少した。

もっとも、慢性的な看護婦不足に悩む病院は、四一人の看護婦を組織する分会を無視することはできず、原告の発足から一年間は表だった攻撃を控えざるを得なかった。しかし、昭和六三年四月に付属看護学園からの新規採用を再開し、同年八月に、鉄道労連傘下の東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄労」という)と鉄医協の組織統一(これにより鉄医協は東日本旅客鉄道労働組合医療部会(以下「東鉄労分会」という)となった)により、文字どおり病院における一企業一組合=国労排除体制が整ったことから、原告・病院は、昇進試験や一時金における差別を通じて看護婦組合員に対する脱退攻撃を集中した。その結果、分会員の数は、昭和六三年三月当時の四〇人(看護婦三八人、視能訓練士一人、事務職一人)から、平成元年二月には二八人(看護婦二六人、視能訓練士一人、事務職一人)にまで減少した。

昭和六三年三月分会長に就任した榎本は、被告補助参加人らの組合員とともに、同月三一日から三回にわたり、病院の玄関前等において、新規採用の看護婦に分会への加入を訴える内容のビラを配布したところ、これを監視していた病院の人事係長から注意を受けるというようなことがあった。その後も榎本は、分会の機関誌「あゆみ」を発行したり、分会員の昼食懇談会を定例化するなど、組織立て直しの中心となって積極的に組合活動を行った。

(3) 平成元年四月、原告・病院は、付属看護学園から新規採用した看護婦の東鉄労分会への加入を促進し、分会への加入を阻止するべく、入社式後に開かれた東鉄労分会主催の新人歓迎会に総婦長が出席し「よく考えて組合を選びなさい」と発言し、東鉄労本部主催のウエルカムパーティーに新人看護婦が参加できるよう夜勤を免除するという便宜を図ったうえ、同パーティーには原告の住田社長や総婦長が出席するというようなことがあった。平成三年度、四年度の東鉄労分会の新人歓迎会には副看護部長が出席した。また、病院の管理職は、新人看護婦の指導担当である先輩看護婦(プリセプター)が東鉄労の組合員である場合は、「東鉄労に加入させることもプリセプターの仕事だ」と指導しているが、プリセプターが分会員である場合は、このような指導は行っていない。

このようにして原告・病院は、東鉄労を優遇する一方、昇進試験や一時金における差別を通じて婦長職の分会員に対する脱退工作を継続した結果、分会員の数は、平成元年二月当時の二八人から、同年九月には二四人(看護婦二二人、視能訓練士一人、事務職一人)に、平成三年六月には二〇人(看護婦一八人、視能訓練士一人、事務職一人)に、そして平成五年四月には一五人(看護婦一四人、視能訓練士一人)にまで減少した。

(4) 以上の事情に照らせば、本件配転命令が原告の不当労働行為意思によるものであることは明らかである。

(二) 不利益取扱い

(1) 病歴管理業務はカルテの整理が主な仕事であるところ、これを命じる本件配転命令は、榎本にとって屈辱感を感じずにはいられないものであるうえ、榎本がそれまで一七年間視能訓練士として培ってきた知識・技術を生かす余地を奪い、視能訓練士としての技術の低下を招来するものである。

(2) カルテの回収は、カルテを満載すると一〇〇キログラム近くになる台車を各病棟から一三階の病歴管理室まで運搬する作業であり、女性である榎本にとっては重労働である。カルテの製本は、手動ホチキスを用いてカルテをとめ合わせる作業であるが、一回の打刻で腕に約三五キログラムもの負荷がかかるうえ、打刻箇所は一冊分について合計一四箇所もあり、この作業を一日に数百回も繰り返して行わなければないから、これも女性である榎本にとっては極めて過酷な労働である。しかも、一人当たりの製本作業量は、平成元年八月以降、派遣社員が三人から一挙に一人になったため、従前の二倍になった。その結果、榎本は平成二年二月ころから体の不調を自覚し、同年六月には頸肩腕症候群と診断された。

(3) したがって、本件配転命令は榎本に著しい不利益を負わせるものであり、不利益取扱い(労組法七条一号)に当たる。

(三) 支配介入

(1) 原告・病院は、本件配転命令によって榎本から視能訓練士の仕事を奪い、一般外来・病棟から全く隔離された病歴管理室に配置して過酷な業務に従事させたうえ、業務のために頸肩腕症候群を発症した後も原職には復帰させないという嫌がらせを執拗に加え、他の分会員や東鉄労所属の組合員、さらには新人看護婦等に対する見せしめにし、分会に動揺を与え、これを弱体化しようとした。

(2) 分会が榎本を分会長に選任したのは、榎本が日勤の技師職であり、看護婦組合員(大半が変則的勤務に従事し、家事・育児に時間をとられる女性である)に比べて恒常的な組合活動をしやすいからである。しかるに、原告・病院は、榎本が頸肩腕症候群に罹患した後もカルテ整理の仕事に従事させ続け、分会長の任に耐えられなくなった榎本に分会長退任を余儀なくさせて分会の組合活動にダメージを与え、分会を弱体化しようとした。

(3) したがって、本件配転命令は被告補助参加人らの組合運営に対する支配介入(労組法七条三号)に当たる。

(四) 本件配転命令の不合理性

(1) 視能訓練士は二人必要である。それが証拠に、本件配転命令により視能訓練士が一人になったため、病院眼科の重要な業務である医学適性検査に次のような支障が生じた。すなわち、運転業務従事者の眼に異常がないかどうかを検査する医学適性検査は、公共交通の安全確保に不可欠の重要な業務であり、病院眼科は中央鉄道病院の時代以来これを専門的に行ってきたものであるところ、平成元年四月の医学適性検査の際、当時の藤田眼科部長は、視能訓練士一人では対応できないとして中央保健管理所からの医学適性検査の実施依頼を断った。その結果、中央保健管理所は、わざわざ視能訓練士二名をアルバイトとして雇って検査を実施せざるを得なかった。また、病院眼科では従来一人だった眼科の看護婦を一人増員し、自動視野計を導入せざるを得なくなった。さらに、従来行っていた七項目の検査のうち斜視及び斜位の検査を実施する余裕がなくなった。一般外来患者に対する検査業務についても、本件配転命令によって視能訓練士が一人になった結果、平日午後及び土曜日は外来患者の視力検査に対応できなくなり、検眼・眼底検査も午前一一時ころまでの来院患者でないと対応できなくなるなど支障が生じた。

(2) 仮に二人の視能訓練士のうちいずれかを病歴管理室に配置する必要があったとしても、榎本は病歴管理業務の有資格者でもなければ眼科以外の医学の知識も皆無であるから、病歴管理業務に適任であるとはいえないし、かつ、榎本の方が松本に比べて視能訓練士としての適性に優れていたのであるから、榎本こそ視能訓練士として眼科に残すべきであった。

(3) したがって、本件配転命令には合理性がない。

2 救済利益の存在

救済命令取消訴訟において、救済命令の適法性の判断基準時は審問終了時であると解すべきところ、本件において被告の再審査手続における審問が終了したのは平成五年四月九日である。したがって、平成七年二月一日付けの本件出向命令は基準時後に発生した事情であるから、本件命令の適法性に影響を及ぼすことはない。

そして、定年延長等の実施に関する協定は、満五五歳以上の組合員の原則出向について例外的取扱いを排除する趣旨ではないから、榎本を視能訓練士の業務に復帰させることを命じる本件命令の履行は可能である。しかも、榎本及び被告補助参加人らが本件配転命令についての救済利益を積極的に放棄した事実はない。したがって、救済利益は消滅していないというべきである。

第三争点に対する判断

一  争点1(不当労働行為の成否)について

1  本件配転命令に至る経緯について、前記争いのない事実等に加え、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(一) 昭和六二年四月一日の原告の発足に当たり、榎本に視能訓練士の兼務発令をし、従前同様視能訓練士の業務に従事させることにしたのは、榎本の適当な転出先が見つからないことに加えて、事務職自体についても過員が生じていたこと、他方で、一般開放により外来患者数の増加が見込まれ、視能訓練士を二名必要とする事態が生じる可能性を考慮し、外来患者数の推移を見極める必要があったことによるものである。

(二) 病歴管理業務は、患者の診療録(カルテ)を管理する業務であり、その主な内容は、入院カルテの準備(各診療科毎のバインダーに新しいカルテ用紙をセットしてナース・ステーションに搬送する作業)、入退院日報台帳の作成(入退院日報を受領し、退院番号を付ける作業)、カルテの回収(退院した患者のカルテを回収する作業)、カルテの製本(回収したカルテを製本する作業)、退院番号・患者等日報台帳との照合(回収したカルテの記入漏れや誤記の有無を点検し、ICD(病名)コードを付ける作業)、診療録の複写・保管(診療録を複写し、年度末まで保管する作業)である。

中央鉄道病院では、昭和四二年ころ病歴調査室(後に病歴管理室と改称)を設置し、看護婦を配置して病歴管理業務に本格的に取り組み始め、昭和六一年九月当時は二名の職員(看護婦)を配置していたが、昭和六〇年四月実施の合理化策の一環として一部を外注化することとし、昭和六一年九月からは職員を一名削減し、代わりに派遣社員一名(女性)を当てて行っていた。昭和六二年四月に発足した病院は、病歴管理業務を全面的に外注化することとし、派遣社員二名(いずれも女性)をこれに当てた。

一方、病院は発足後、一般開放に伴う部外患者のレセプト枚数増加、患者サービスの向上、診療の深度化、職員数の抑制、病歴管理の近代化等に対処することを目的として、中央コンピューターを汎用コンピューターに切り替え、全病棟と病棟業務に密接な関係のある病歴管理室等に端末を設置し、その間を中央コンピューターを介して有機的に接続する、いわゆる病棟オーダーシステムを導入してコンピューターによる総合的な診療管理体制の確立に取り組んでいた。右システムの実施・運営については、病棟関係は順調に進んでいたが、病歴関係については、未回収カルテの増加やカルテの病名欄へのICD(病名)コードの記入漏れなど、次第に遅れが目立つようになり、昭和六三年一二月に開催された診療録委員会(診療録管理の充実及び円滑な運営を図ることを目的とし、副院長並びに診療科の医師若干名、副看護部長及び医事課課長等で構成する組織)において、医師側から、専任の有資格者(日本病院会認定の診療録管理士資格を有する者)を配置するなど適切な措置を講じてほしいとの要望が出されるに至った。

病歴管理業務の遅れの主な原因は、派遣社員だけでは医師に未回収カルテの催促をしたり、カルテに未記入の病名やコード番号の記入を求めたりするのがしにくいことにあると考えられたが、経営効率化の観点及び病院の経営状態からみて、新規に有資格者を採用する余裕はないことから、病院では、とりあえず社員の中から専任者を選んで配置することで病歴管理業務の改善を図ることにした。

(三) 他方、病院では一般開放後における眼科の外来患者数の推移を見守っていたが、一日当たりの外来患者数(医学適性検査受診者を含む)は、昭和六一年度が三五・一人、昭和六二年度が三三・一人、昭和六三年度が三九・三人であり、顕著な増加は見られず、視能訓練士一人当たりの外来患者数は東京近郊の他の病院と比較して二分の一程度にとどまっていたことから、視能訓練士の業務に従事させている二人のうちのいずれかを病歴管理室に配置することによって病歴管理業務の充実を図り、名実共に視能訓練士の過員を解消することとした。そして、その候補者としては、病院が慢性的な看護婦不足の状況にあることを考慮すると、看護婦資格を有し、看護婦需要が逼迫した場合に視能訓練士から看護婦に置き換えることのできる松本を眼科に残しておく必要がある一方、事務職の中でも視能訓練士として眼科に一七年間勤務した経験があり、医療に関する基礎的知識を有する榎本は病歴管理業務の立て直しに適任であると判断し、榎本を病歴管理業務の専任者として配置することとした。

(四) 平成元年三月二〇日、原告が榎本に本件配転命令の事前通知を行ったところ、榎本は、同月二五日、原告と東日本本部との間で締結された労使間の取扱いに関する協約に基づく簡易苦情処理の申告をした。簡易苦情処理の申告とは、転勤や転職等の事前通知の内容について組合員が苦情を有する場合、その解決を会社側二名、組合側二名の簡易苦情処理委員で構成される簡易苦情処理会議に請求するものであり、苦情申告者、原告及び東日本本部は、簡易苦情処理の結果を遵守しなければならないこととされている。榎本の申告を受けて同月三〇日に開催された簡易苦情処理会議では、会社側委員から、病歴管理業務を促進する必要があること、視能訓練士が一名過員になっているのでその活用を図る必要があること、榎本は既に事務職に転換しており、本件配転命令は単に兼務を解くだけであること、本件配転命令による給与上の不利益はないことなどを説明したところ、組合側委員からは、カルテ整理の仕事が終わった時点で視能訓練士に戻してほしいとの要望があったのみで、本件配転命令そのものが不当であるとする意見はなく、榎本の簡易苦情処理の申告を却下することで双方の委員の意見が一致した。

2  右に認定した事実によれば、原告は、病院の一般開放により眼科の外来患者数の増加が見込まれ、将来視能訓練士を二名を必要とする事態が生じる可能性等を考慮し、昭和六二年四月一日付けで榎本に事務部総務課課員・視能訓練士兼務を命じ、従前同様視能訓練士の業務を行わせていたところ、病院の一般開放後も眼科の外来患者数に顕著な増加が見られず、視能訓練士一人当たりの外来患者数は、東京近郊の他の病院と比較して二分の一程度にとどまっていたことから、名実ともに視能訓練士の過員を解消することとし、その人選については、病院が慢性的な看護婦不足の状態にあることを考慮し、看護婦資格を有し、看護婦需要が逼迫した場合に視能訓練士から看護婦に置き換えることのできる松本を眼科に残し、事務職の中でも視能訓練士として眼科に一七年間勤務した経験があり、医療に関する基礎的な知識を有する榎本を病歴管理業務の専任者として配置することにしたというのである。そうすると、本件配転命令には業務上の必要性があり、かつ、その人選についても、榎本が病歴管理業務の有資格者でない点からして必ずしも最適任であるとまではいえないとしても、事務職の中では医療に関する基礎的な知識を有することに照らせば、相当の妥当性が存するものというべきである。

もっとも、(証拠略)によれば、本件配転命令当時の藤田眼科部長は、榎本の配転について打診された際、視能訓練士の減員は困るし、もし一名減員するならば、榎本を残してほしいと述べたこと、医学適性検査は本来中央保健管理所の所管であるが、医学適性検査において精密検査が必要とされた者や乗務員等の新規採用者の検査は、従来から中央保健管理所からの依頼により病院が実施してきているところ、本件配転命令直後の平成元年四月の医学適性検査について、藤田眼科部長が視能訓練士一名では実施できないとして、右検査の実施を断ったこと、原告は、本件配転命令後、病院及び中央保健管理所に自動視野計を購入して効率化を図るとともに、藤田眼科部長から断られた医学適性検査は、中央保健管理所が大学病院に委託したり、アルバイトの視能訓練士を臨時に雇うなどして実施したこと、本件配転命令後、病院の眼科診療室に「視力検査は、午後及び土曜日は、なるべくさけてください」「検眼・眼底検査をご希望の方は一一時までにおいでください」との貼紙がされていることが認められる。

しかしながら、中央鉄道病院において、昭和六〇年四月以降視能訓練士の定数を二名から一名にすることは、同病院の経営効率化策の一環として、昭和五九年末までに国鉄と国労本部との間で合意されていたこと、医学適性検査は短期間に実施人数が集中する臨時的な業務であるから、このような業務のために常雇いの職員を雇用するか、機械化等の合理化を図り、あるいはアルバイトの雇用など臨時の措置を講じるかどうかは、経営判断に属する事項であって、原告の裁量に委ねられた分野であるうえ、平成元年四月以降の中央保健管理所の医学適性検査に具体的に支障が生じたと認めるに足りる証拠はないこと、本件配転命令により視能訓練士が一名減員となったのであるから、減員前と同様の診療態勢がとれないこともありうると考えられるが、視能訓練士が一人になっても、病院における視能訓練士一人当たりの眼科の外来患者数は東京近郊の他の病院より少ないのであって、本件配転命令後、一般外来患者に対する診療について医療としての許容範囲を超えた支障が生じたと認めるに足りる証拠はないことなどの事情に照らせば、本件配転命令が不合理であるとはいえない。また、松本が視能訓練士としての通常の能力に欠けると認めるに足りる証拠はないから、仮に視能訓練士としての能力及び経験において榎本が松本より優れていたとしても、看護婦の資格を有し視能訓練士が本務であった松本を視能訓練士として残し、看護婦の資格がなく、既に昭和六二年三月一六日から事務部経理課(同年四月一日以降事務部総務課)課員が本務であって、給与体系も事務職に転換されていた榎本に対して本件配転命令を発令したことは、その人選においても合理的であるというべきである。

3  被告補助参加人らは、病歴管理業務の主な仕事であるカルテ整理の作業は榎本にとって屈辱感を感じずにはいられないものであるうえ、極めて過酷な重労働であるし、視能訓練士の業務を離れれば視能訓練士としての技術の低下を余儀なくされるから、本件配転命令は榎本に著しい不利益を負わせるものであり、不利益取扱い(労組法七条一号)に当たる旨主張する。しかしながら、病歴管理業務が一般的に屈辱感を与えるような業務であるといえないことはもとより(現に、中央鉄道病院時代には、病歴管理室に看護婦が配置されていたのである)、榎本は、原告との雇用契約上視能訓練士に職種が限定されていたことを窺わせる証拠はないし、本件配転命令によって榎本の視能訓練士としての技術がある程度低下することがあるとしても、それは、担当業務が変更になる以上当然の帰結であり、通常甘受すべき程度を超える不利益であるとはいえない。また、(証拠略)によれば、榎本は平成二年六月に頸肩腕症候群と診断され、その後同疾病は業務上の疾病と認定されたことが認められるが、先に認定したとおり、カルテの整理を含め病歴管理業務は、榎本が配転されるまでは派遣社員の女性二名によって処理されていたのであり、原告において、榎本が右疾病に罹患するおそれがあるほど病歴管理業務が重労働であると認識していたとは認められない。そうすると、本件配転命令は榎本に著しい不利益を負わせるものとはいえず、本件配転命令が労組法七条一号の不利益取扱いに当たる旨の被告補助参加人らの主張は理由がない。

4  被告補助参加人らは、原告・病院は、本件配転命令によって榎本をカルテ整理という過酷な業務に従事させ、頸肩腕症候群発症後も原職に復帰させないという嫌がらせを加え、分会員らに対し見せしめにする一方、榎本に分会長退任を余儀なくさせ、もって分会の弱体化を図ったものであり、本件配転命令は被告補助参加人らの組合運営に対する支配介入(労組法七条三号)に当たる旨主張する。しかし、右に判示したとおり、原告において、榎本が頸肩腕症候群に罹患するおそれがあるほど病歴管理業務が重労働であると認識していたとは認められないうえ、榎本の同疾病発症後の原告の対応は、本件配転命令とは直接関係のないものであるから、本件配転命令が分会員らに対する見せしめとすることを意図し、あるいは榎本の分会長退任を目論で、分会の弱体化を目的としてなされたものであるとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。したがって、本件配転命令は労組法七条三号の支配介入に当たる旨の被告補助参加人らの主張は理由がない。

5  以上のとおりであるから、本件配転命令については業務上の必要性があり、その人選についても合理性があるというべく、これを目して、榎本が分会員であること又は労働組合の正当な行為をしたことの故をもってする不利益取扱い(労組法七条一号)や、被告補助参加人らの組合活動に対する支配介入(同条三号)と評することはできず、他に本件配転命令につき不当労働行為の成立を認めるに足りる証拠はない。

二  結論

よって、その余の主張について判断するまでもなく、不当労働行為の成立を認めた本件命令は違法であって取消しを免れず、原告の本件請求は理由があるからこれを認容して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論の終結の日 平成一〇年一月二二日)

(裁判長裁判官 萩尾保繁 裁判官 白石史子 裁判官 西理香)

別紙(略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例